文句教員しおの備忘録

教員の不満を伝える備忘録です。

田中まさお先生方の裁判を受けて

教員の残業代請求訴訟について。

今回争点となったのは、原則的に業務内容が現行の給特法に基づいたものかどうか、という点。

①確かに校長からの命令はあった、が、超過勤務となるまでには至らない仕事。

②校長からの命令(を証明するもの)がなく、自発的にやっていたと認められる仕事。

という結論となり、敗訴に至ったというわけですな。


これを受けて、特に②
校長は明確な指示を出していないため、自発的に行っていたと認定されてしまった仕事について。

原則、「教員にどんな仕事が割り振られていくのか」ということは年度始めに、校務分掌という形で決まっていく。(体育主任だったり、情報主任だったり、各教科の責任者というものだったり。)
その後は、その分掌をもとに、前年度作成された計画に沿って仕事を進めていくわけだな。

もちろんそれだけなわけがなく、毎日の授業や授業準備(教材研究といったりする)、担任であれば普段の学級経営があり、児童指導があり、保護者対応があり、だ。

そしてもちろん仕事が片付かず、残業している分は「自発的な仕事」と認定されているのだ。
頭にこないわけがない。

正直に言わせていただけば、平均残業時間が非常に高い現状は、管理職の管理不足としかいいようがない。
普通の会社であればね。

特に上記の分掌による負担感の違いも大きい。特に若手と呼ばれる世代は、重たい仕事を振られてしまうことが多い。(自発的に仕事している、とは一体なんなのか)


ただ、「今までそうしてきた」から校長はその業務量を大幅に見直すことはしないし、「今までそうしてきた」からベテランの先輩方は拒否感があるし、「今までそうしてきた、と言われているから」若手もその歯車に組み込まれるしかないわけだ。

そこに現場が改善しない原因があることも否めない。

常識的に考えてあり得ない業務量に関して、体がもたない人は一定数いることはご存知だろう。
その人たちは、おかしいのだろうか。

「他の皆はちゃんとやっているのに、何で私は普通にできないのだろう」と自己嫌悪するのは、普通のことなのだろうか。

「周りも皆そうだし、今までもそうやってきたし、文句を言っても変わらないから…」と諦めてしまうことは本当に正しいのだろうか。


前の記事で教員の休憩時間に触れたが、「みんなそうだから…」といって法律に守られているはずの休憩時間をとらなくていいのか。
休憩時間まで「自発的に働いている」と認定されていいのか。

とっちらかった文章となったが、
まずは教員、管理職、教育委員会が現状を認識し、適法かどうか考えなければならない。

遵法意識が非常に薄いのだ。


そして学校を取り巻く家庭、地域、社会がそれを認識するまで声を挙げなければいけない。
世論、インフルエンサーに助けてもらう場面もあるだろう。

そこまでしないと、解決はしない。
今、教員たちが#教師のバトンを筆頭に現状と困り感を声に出してあげている。


ここまで聞いて、このように文句を言う連中に対し「教師のくせに」「子どものことを考えてないのか」と言えますか?